オーロックス

オーロックス

  • オーロックス明るい森林や開けた草地に小さな群れで住み、木の葉や草を主食としていた、彼らはおそらく日中に活動する昼行性だったと思われる、群れは1頭のオスと数頭のメスと子供からなっていた、あぶれたオスは付近を単独でうろついていたものと見られる、交尾期は8月から9月にかけてで、この間オスは他のオス、特に近くをうろついていてメスにちょっかいをかけるあぶれオスと激しく戦ったに違いない、妊娠期間はおよそ9ヶ月で子供は5月から6月に生まれた。
    オーロックスは原牛とも呼ばれ、ヨーロッパの家畜の牛の祖先とされる、ユーラシアに広く分布していたが、南アジアでは歴史時代の比較的早い時期に消滅した、メソポタミアでは古代ペルシア帝国時代にはすでに死滅していたのだ、北アフリカのものはエジプトの古代帝国時代の終わり頃までに絶滅した、彼らは食用として狩り立てられてきたのである。
    ドナウ川中流北岸のヘルシニアの森には「ゾウほどもあるが姿や形、色から見て牛類に入れるべきオーロックス」がいて、「角の力が大変強く、走るのも非常に速く、見つけたものは人であろうと獣であろうと容赦はしない、彼らを捕まえるには落とし穴を使う」というのがあった。
    西暦700年頃にはフランスの王侯がオーロックス狩りを自分たちだけの特権としたが、1240年にはドイツ北東部にはヨーロッパバイソンもオーロックスもまだいた、西ヨーロッパと中部ヨーロッパでは中世まで生き残ったのである、深い森林が彼らを守ったに違いない。
    確かにヨーロッパも1550年頃まではオオカミの群れが徘徊し、オオカミよりも狡猾なヨーロッパオオヤマネコが森林の至る所に潜んでいたし、ヘラジカがボヘミアやザクセンに住みヨーロッパビーバーは川のあるところならばどこにでもダムを作っていたのだ、東ヨーロッパのあちこちにヨーロッパバイソンが生息していた、だがオーロックスはそんな中で少しずつ減少していった、体の大きさの割りに性質が柔和で、狩りの獲物としては最高だったのかもしれない、森が切り開かれるとオーロックスを含め、ふらゆる野生動物が姿を消した、今やヨーロッパは文明の大発展の直前だったのだ。
    16世紀にはオーロックスの保護地がヨーロッパ各地に出現した、だがこれは野生動物の保護のための保護区ではない、貴族たちが自分たちだけの楽しみのために、つまり狩りをして殺すときの興奮を感じるために保存しようとしたわけだ、だから無論密猟者もいただろうが、オーロックスは保護されていたにも関わらず、減っていったのである、保護すべき、いや撃つべき動物がいなくなって保護区は次々と閉鎖されていったことは言うまでもない。
    最後の保護地はドイツ北東部の湖沼地帯からヴィストラ川中流まで広がる「ヤクトローフカ禁猟区」だった、マソビア公爵領にあり、ポーランド人の監視員がオーロックスの誕生や死亡を記録していた、「密猟者たちが半分人慣れしたオーロックスを殺し回った、1565年にはわずか30頭に減り1599年には24頭、1602年には4頭、1620年にはついにたったの1頭のオーロックスを残すのみとなった、そして1627年のある日、森で1頭の年老いたメスが死んでいるのを監視員たちが見つけた。」オーロックスは地球上で最後の時をこうして迎えたのである。


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