カロライナインコ

カロライナインコ

  • カロライナインコインコやオウムの仲間は中央アメリカや南アメリカ、アフリカ、オーストラリアなどの暑い地域に生息する、果実が主食だからだ、だがカロライナインコはアメリカ合衆国の頭部から南部にかけて住む、北アメリカ大陸の珍しい唯一のインコだった、このインコは川沿いの森林に生息し、夜は大木の洞で眠り、朝になると果実を食べに出かけていくという生活をしていた。
    バージニア、オハイオ、インディアナ、イリノイ、ミズーリ、テキサス東部、ルイジアナ、フロリダの各州にまたがる2000km四方に及ぶ広大な地域の森林で、彼らは生活していた、これほどの面積の土地に生息していたから、その個体数はリョコウバトほどではなかったにしろ、かなりのものだったと推察される。
    アメリカが開拓されていくにつれてカロライナインコも少しずつ減っていった。まずは生息地を失っていったのだ、それから肉は食用に、羽毛は婦人用の防止の飾りにされたのだ、はじめは少しずつ、それからだんだん加速がつき、最後は絶壁から転げ落ちるようにして絶えていった、カロライナインコの運命は、この点ではバイソンとかリョコウバトと似ている。
    こうした出来事は1800年代のはじめに起こった、しかしある人々に嫌われたのが致命的だった、それは果樹園の経営者だ、カロライナインコは果実が熟す前が好物だった為に、害鳥として目の敵にされたのだ、確かにカロライナインコの群れがやってくると何も収穫しないうちに果実がほとんど全滅してしまった、そこでカロライナインコの大量捕獲が始められた、散弾銃を打ちまくり群れをひとつずついなくしていったのだ、散弾銃の真価が発揮された。
    一部の人はカロライナインコの行く末をすでに案じていた、1878年カロライナインコを救おうとする計画が立てられた、人工的に増殖しようというわけである、インコ類の繁殖でよく知られたラス博士はひとつのつがいから3羽のヒナを育てることに成功した、だがそれ以上には増えなかった。
    翌1879年にはバロン・ベルレブシュという人は鳩の巣箱を占領したカロライナインコをそのまま定住させ、20羽ほどに増やすことに成功した、今にして思えば画期的な出来事だった、増えたインコたちは次第に巣箱から離れ、空腹のときだけ戻ってくるようになった、後に彼らは草地にある古い2本の古い菩提樹の樹洞で繁殖するようになり、何kmも遠くまで飛んでいくようになった。
    しかし、ある日ベルレブシュはこうした方法で繁殖させるには10年以上も早かった、ということに気づいた、彼の家から15km離れたところで、彼のカロライナインコは群れごと打ち落とされ全滅してしまったのである。
    1880年代に入ると、もはや減りすぎだということは誰の目にも明らかだった、だがハンティングは止まらなかった、1889年に絶滅の秒読み段階に入った、しかし保護されるわけでもなく、そのころでも1人で200羽もとったという報告もあるほどだ。
    1900年代に入ってカロライナインコが何羽もいないらしい、という事が明らかになってようやく保護をしなければという動きが出た、が時既に遅しであった。
    1904年、フロリダで野生の30羽の群れがいたという報告が最後で、それ以後は誰もこのインコを見ることはなかった。
    1914年9月、シンシナティ動物園で最後のカロライナインコが死んだ、リョコウバトに引き続き、カロライナインコも同じ年の同じ月に、それも同じ動物園で絶滅したのである、これがきっかけとなって、アメリカは世界でも有数の動物保護に熱心な国に変貌した、だがその犠牲はあまりにも大きかった、一度絶滅したものは、どんなことをしても決して戻らないのである。


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