クアッガ

クアッガ

  • ヤマシマウマより大型で、顎の下に肉垂れがなく、鬣はずっと前の方まで生え、耳は短く、背の毛は後方に向かっている。前足のたこは小型で蹄はやや大きく、全体的にロバよりウマに似ている、色は栗色か茶色で体の下側、足とその付け根は白色、頭顎同には白色の縞がある。この縞は他のシマウマと同じように一頭一頭違っている。体の下面や足には縞はない、頭蓋はプシバルスキーウマのような原始的な馬に似ている。
    かつては南アフリカ共和国の南部に広く分布していた。

    生活は南アフリカの平原やサバンナに群れで生活していた、ひとつの群れの大きさは25頭〜40頭からなり、オレンジ川上流のキンバリー付近ではクアッガがオジロヌーやダチョウと一緒に群れを成しているのが確認されている、シマウマはしばしば他の草食動物と群れを成すことが知られているがクァッガと近縁なバーチェルシマウマはオグロヌーと一緒にいてこれら二種のシマウマは決して混ざることはなかったと言われている。

    また、山地にはヤマシマウマ、平原にはクァッガというように住み分けていた。

    天敵はライオン、ブチハイエナ、リカオンだったが、健康的なものは巧みに逃げ、鋭い噛み付きと蹴りでよく反撃した、いずれにしても自然界の法則の元で繁栄していたのである。

    夏になって地平線まで見渡す限り花に覆われた平原で草を食べる姿はそれは美しいものであったらしい、旅行者たちの話によれば、しばしば多数の群れが平原のあちこちに姿を現し、丁度極彩色の海に浮かぶ漁船のせんだんのように、ほぼ一定の間隔でちらばっていたという。

    状況としては150年前まで南アフリカの当時のオレンジ自由州やケープコロニーに隣接した地域にクァッガは沢山いた、クァッガはヨーロッパに初めて姿を見せ、新種のシマウマと記載されたのが1785年のことである、1800年代まではクァッガの姿はまだケープタウン周辺でも見られた、かつてオランダからの入植者たちアフリカーナたちの中でも豊かな農場主は原住民労働者の食料のためや皮袋のために大量に殺したという、またこの皮は手製の靴を作るために用いられ特に後ろ足の膝の尖った部分を覆う厚めの皮が用いられた。
    人間に慣れ易く警戒心も乏しかったクァッガは平原の開拓という環境破壊も手伝って数を減らしていった、1820年には驚くほど数を減らしていた。
    1850年には開拓者たちが更に奥地に入り込みだした、奥地に進んだ後には皮を剥がれ肉を切り取られたクァッガの死体がごろごろ転がっていた、禁猟区は無視されオスもメスも子馬も容赦なく撃ち殺された。
    殺戮を経済的に迅速に行うために、殺した獲物から弾を抜き取り、拾っておいた薬きょうに火薬を詰めてもう一度使用した記録もある。
    1861年に射殺されたものが野生の最後のクァッガとされている。

    飼育下のものはもう少し後まで生き延びた、絶滅までのおよそ100年間で16頭のクァッガがヨーロッパに送り込まれている事が分かっている、何回となく馬具に慣らされたようである、旅行家のスパルマン南アフリカで一頭のクァッガが四頭の馬に混ざって馬車を引いているのを見たと述べているが、偉大な動物学者キュヴィエの編にになる動物王国にもこう書かれている「クァッガは簡単に飼いならされるから家事用でも役に立つ、その証拠にロンドンのハイドパークなどのしゃれた行楽地では社交シーズンに時折登場する鹵簿の中に2頭のクァッガに曳かれた二輪馬車を見かける事がある、よく訓練された馬に劣らず、轡や鞭の命ずるままに動くようだ」と。
    この二頭はシェリフ・パーキンスなる人物の自慢の種だったといわれる。日曜の朝、遠乗りに出かける度に、ちょっとしたセンセーションを巻き起こしたに違いない、これらのクァッガは1830年ごろに死んだが、その頭蓋はいったんアマチュア収集家の手に渡った、後にイギリス王立外科大学の博物館に納められた。
    もう一頭、ヨーロッパに送られたクァッガがいる、これはパリのジャルダン・デ・プランなる有名な植物園で数年生きていた、普段はめったに人を手こずらせる事はなかったが、ある放牧場から放牧場へ移そうとすると、興奮し、神経質に荒れ狂って噛んだり蹴ったりしようとした、こうなったら離れて見ているしかなかった、クァッガは元々おとなしいとはいうものの、人間には大怪我を負わせるほとせの体格があるのだ、ヨーロッパに到着したときには既に16歳でまもなく死亡した、死因は老衰だったといわれる。

    ロンドン動物園には19世紀の間に、同時にではないが、3頭のクァッガがいた。その内の一頭は、1951年に来園したメスで、21年間も飼育された、生きている姿を写真に収められた唯一のクァッガである。このメスはしばらくオスと一緒にされていたが1864年にオスのほうが突然暴れだし怪我を負ってしまったため処分された、この頃には野生のクァッガは既に絶滅していたのだから、この事故が起こらなければ飼育下ではあるもののクアッガの絶滅は免れた可能性もあったのだ、メスは1872年に死んだ。

    この頃のアムステルダム動物園にはもう一頭のクアッガが生き残っていた、この他にもアントワープ動物園にも1860年ごろにこれが最後だとして送られて来たものが生き残っていたと考えられている。これはポート・エリザベス駐在のベルギー領事ボルスが送ったものである、アントワープ動物園には以前からクアッガがいたが最後の記録は明確ではない。
    ともかく、クアッガの最後の生き残りはアムステルダム動物園の固体で、1875年ごろには最後の生き残りとして知られるようになっていた、この固体の由来はアントワープ動物園から入手したものと考えられている、1867年にアムステルダム動物協会が入手したのである、1882年8月12日に種としてのクアッガが絶滅した。
    標本は今ではヨーロッパの博物館に17体、頭部だけの剥製が1個、全身骨格が3体、頭蓋が7個、南アフリカの博物館に子供の剥製が一体残っているだけである。

  • 再生計画
    1986年から「クアッガブリーディングプロジェクト」というクアッガ再生計画がフローリーケイト自然保護センターで始まっている。
    縞の特徴がクアッガに似ているシマウマを集めてクアッガを復元させようとする計画である。
    1988年に生まれたこの計画最初のウマは茶色い体に白い半分の縞を持っていて、外見はクアッガに非常に似ていた。

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