リョコウバト

リョコウバト

  • リョコウバト

    リョコウバトは鳥の歴史以来最も多くいたといわれる鳥である。一説には50億羽いたと推定された。1810年ごろイギリスの鳥類学者ウィルソンは一つの群れの個体数を22億3000万羽と推定している。リョコウバトの棲息範囲は主として北アメリカの東半分で彼らはその名の通り毎年ほぼ同じルートを追って長距離の渡りを行った。夏を北部地域で過ごし、冬にはメキシコ湾沿岸地域へと渡っていったのである。
    オーデュボンによれば、リョコウバトは強い翼を使って非常に速く飛ぶ鳥であり飛行速度は時速100kmに達するほど速かった。三月か四月には北部の森林にやってくる、一箇所に定住する事はなく殆どいつでも移動している。驚くほどよい目をもっているので上空を飛んでいても地上の食べ物を容易に見つけることができる。荒地を横切るときは高いところを飛び食物の沢山ありそうな森林地帯に来ると降りてくる。その群れが渡る時には耳を塞ぐほどの羽音を立て、数日間途絶えることなく空を覆ったという。
    また、それこそ空を真っ黒にするほどの壮観さで一旦休息の為に一つの群れが木に止まると鳥の重さでその木の大枝が折れることさえあったと言う、このような著しい繁栄を誇っていたリョコウバトも悲劇に見舞われ始めた。

    1600年ごろからアメリカにて住し始めたヨーロッパ系の人間は1800年代に生息地であった森林や原野を次々と開発していった、棲息地を奪われたハトは畑に現れ農作物を荒らし始めた、農民は害鳥としてリョコウバトを目の敵にして、あらゆる手段を使って駆除するように努めたのである。

    この時代東部から西部を繋ぐユニオンパシフィック鉄道が開通するようになった、この鉄道を使って駆除したリョコウバトを大量に市場に輸送すれば高額で売れると言うこともあり、さらに大規模な乱獲が行われるようになった、ついでに大量に取れる羽毛も布団の材料として高値で売れるようになると大量虐殺に更に拍車がかかった、リョコウバト専門のハンターが現れ毎年数十万羽という大量のリョコウバトが殺された、リョコウバトは樽で塩漬けにされ列車に乗せられて運ばれた、1860年7月20日にミシガン州の急行イーグル号に詰まれた荷物の伝票には588樽、5万102kg、輸送料3489ドルと記入されている。
    50億羽もいた事とは裏腹に繁殖力が非常に弱く繁殖期には1つしか卵を産まなかった、この繁殖力の低さは絶滅を加速させる事になる。

    捕獲手段は改良されていき囮と網を使うようになり毎年数十万羽という大量のリョコウバトが殺された。
    1850年頃には既にリョコウバトは少なくなり始めていて数は激減し1880年ごろには滅多に姿を見ることはなくなっていた。1899年に野生の最後の一羽が撃ち殺された。

    最後の固体はシンシナティ動物園で飼われていたマーサと名付けられた鳥だが、1914年9月1日13時に死亡した。

    マーサの標本は国立博物館に寄贈されている、リョコウバトの標本はこれ1つしか残されていない。
    鳥の歴史の中で最多といわれていたリョコウバトは、もう何処にもいない。


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