ターパン

ターパン

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    他のウマ科の野生種と同様に1頭のオスが複数のメスを従える小さなハーレムを形成して暮らしている、しかしリーダーはメスで、水場に行き、草を食べ、休息する場所を決めていたと考えられる、広範囲を移動しながら暮らし家畜の馬と同様に春から初夏にかけて子供を生んだはずだ。ターパンは極めて強い警戒心を持っていたが、これは昔から人間の食用として激しい狩りが行われていたからと考えられる。
    鮮新世後期には北アメリカに現れ、やがてアジアからヨーロッパに広く分布し始めたウマ類の始祖であるエクウスは、各地の気候風土によって特徴付けられ数多くの種に分布した。それは一万年から5000年前の事で黒海北部からアラル海周辺までひろがる草原地帯に置いてであった、このうちの一種が家畜化されて現在の馬になったというわけだ、ターパンは家畜の馬と同種だとする意見もあるし別種だとする意見もある、どちらにしても家畜の馬に限りなく近い一種がターパンである。
    ウクライナからアラル海の辺りに沢山のターパンが棲息していたがその数は次第に減少していった、最大の原因は人間による狩猟や草原を焼くという環境破壊であり、家畜の馬との交雑にる純血種の減少も一因である。なぜ家畜との交雑が起こるかというと、当時家畜化された馬を持っていた人間にとってターパンは厄介者であった、ターパンは牧場に積んである干草を一晩で食べつくしてしまったり、野生のオスが家畜馬のボスに戦いを挑み勝っては死に追いやり、メス馬たちを連れ去ってしまうからである。

    1700年代後半になってターパンの棲息地が狭まり始め、1800年代に黒海からカスピ海北部の草原にしか残っていなかった。別の地域に棲息していた森林ターパンはヨーロッパ中央部から東部の森林地帯に分布したが、これも1700年代には減少しポーランド北東部に残存していたものの1800年代初頭に絶滅した。
    1851年までは確実にウクライナに棲息していたと記録されている、1870年頃にはアスカニア・ノバ付近に野生の群れがいたらしいが、その後まもなく野生では絶滅したと考えられる、モスクワの動物園には1866年に捕獲されたメスが飼育されていたが1880年代に死んだ事でターパンは完全に消滅した。


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